春昼に見栄張り出るはスーパーか
誰かに依存して寂しさを紛らわす
皆さんはそんなことはありませんか?
同僚との協働仕事が終わった。
特に話したい話題があるわけでもないのに、まだ話していたいからご飯に誘う。それでもまだ解散したくないから飲みに誘う。帰りの電車の方向が違くても、
「改札口まで一緒に行くよ」
といって、ぎりぎりまで一緒にいようとする。
完全に他人依存。
自分は今春からシェアハウスに引っ越した。
休日の日は特にやることもなく、リビングに出ていき、誰かに話し相手を求める。
「今日は何するの?」
と聞かれても、
「うーん、特に決めてないけど、買い物か、散歩でもしようかなー」
つまらない返事。
シェアメイトはそれとなく会話を切り上げ、キッチンの方へ歩いていった。他の人と話をしに行ったようだった。当然だ。
一人の時間をかっこよく過ごしたい。
他人にはわき目も振らずに何かに熱中していたい。
でも、最近はなぜかそれができない。
去年のスケジュール張は常に埋まっていたのに、どうしてだろう。
趣味がないわけじゃないんだ。
あらかじめスケジュール張に書かれていたなら、材料を買ってパンを作ったり、ボードゲーム会へ遊びにいったり、俳句会へ行ったりもする。
でも、”明日の予定”がない。
前の日にうたた寝し、休日の朝、目が覚めると、何もすることがなく、ベッドでだらだらするだけ。おなかが空いたから着替えて一人でご飯を食べにいく。夜はお店を開拓しよう、なんて言い訳で自分を納得させて飲み屋を開拓する。暇なのだ。
その場の思い付きで行動する。食べては寝るだけ。
これでは人間というより動物ではないか。
今の自分へ。
明日にわくわくしよう。
自分は好きなはず。趣味に飛び込もう。信じよう。
里帰り北へ還るや冴返る
はじめまして。
ぶろっこり と申します。
初めてのブログ。
始めたきっかけは二つあります。
一つはFacebookの友達や好きなブロガーさんのブログをたまにみていて、ブログを身近に感じていたから。
もう一つは思ったことを言葉に残せるようになりたかったから。
まだこれから自分がどんな記事をどんなペースで書いていくのか全然想像がつきませんが、気が向いたときにその時思ったことを適当に書いていきたいです。
さて、前置きはこのくらいに。
実は私、今年25歳になる(大学院まで行ったので)新社会人なのですが、GWに東京から北海道へ帰省しました。
去年大学生だった頃に知り合った高校生の友達達と再会するためです。正直に言うと、親に会うのはついでです。
高校生となると、自分よりも7つも8つも歳下です。ポケモンでいうと、金銀世代かダイアモンドパール世代の違い。GBAケーブルも知らないんだからすごいジェネレーションギャップ。
そんな彼らに往復交通費30000円かけてでも会うのはなぜなのか。
下の世代が何を考えているのか知りたい。
ただその好奇心だけです。
上の世代じゃ全くもってダメ。
先輩や上司なんてものは、人生経験が長いからと上から目線になり、後輩から学ぶ姿勢はゼロ。自分の経験や知識を押しつけ、後輩の想いを尊重しない人種が9割だと思ってます。とてもじゃないけど、話にならないです。
2,3つ下の世代もダメ。
後輩であるというのはよいが、生きてきた時代が近すぎます。いくら時代の変化が速いと言っても、さすがに大したジェネレーションギャップもないから話の新鮮味に欠けます。
さらに年齢は21,2歳ですから、大学生も後半戦。人によっては働いてるかもしれないです。そうなると、研究や周りの大人、就活に洗脳され、自分の言葉を失っていき、誰かの借り物でしか会話できなくなっていきます。どこかで読んだことがあるような本と会話しているかのようで、相手の心が見えないんです。
だから私が話をしたいのは、大学入りたてくらいまでの後輩。
そんなわけで高校生たちとおしゃべりしてきました。
彼らは義務教育という狭い世界で生きてきたためか、外の世界に憧れていました。大学という自由を志す人、海外留学にいって視野を広げたい人、情報と機会のごった返す東京へ出たい人。様々でした。
でも不思議だったのが、自分からその話を聞こうとしないこと。
実をいうと、おしゃべりメンバーのうち、10人くらいは高校生ですが、3,4人は大学生、社会人だったのです。
先輩が話し始めると途端に熱心に聞いていたから、多分、大人の話が嫌いという訳でも無さそう。
知らない人と話したり会うのが好きなタイプの集まりだから、人見知りな訳でもなさそう。
じゃあどうしてだろう
考えたあげく出た結論は、
受け身の日常に浸かってしまってるから、
自分の未来を想像したことがないから、
の2つ。
話を聞いていると、
「連休明けのテストがやばい」
「今年から代表になって不安」
「クラスの人と話が合わない」
「どこの大学に行こうか迷う」
と、みんな今の不満・不安ばかりを嘆く。
将来のことには目もくれずに。
やりたいこと、今ハマってることを自分から話すなんてまず無い。
きっと、部活の大会に向けた追い込み練習や、テスト勉強に中高と追われてきたせいで、今や、良くても1ヶ月先までしか見えなくなってしまったんだろう。不憫なことだと思う。
教師からの一方的な授業を受け続けることで、生徒は小学生の時には出来ていた発言や質問の仕方を忘れ、次々と日本人型の学生が量産される。
海外の学生に比べたら日本の学生は消極的なんてよく言われるが、実は小学生までは差はないのではと思う。
それでも彼らは求めていた。
消極的で自分から質問するのは苦手だが、どんな選択肢があるのか、熱心に聞いていた。
ならば大学生や社会人は高校生にお節介役であるべきではないか。どこかのオジサンのように、自分の経験を高校生達に披露する。そして、無理にでも知らない世界へ連れていき、飛び込む勇気を持たせる。
勇気がないと、いざ大学生になって周りに海が見えても飛び込めない。
海を遮る壁に囲まれた小さな世界で過ごしていた高校生時代と同じだ。
高校生と大学生の違いは
海を認識できるかどうか。
共通点は
勇気のある人もない人も
いるということ。
話して聞かせるだけじゃ足りない。
無理にでもバンジージャンプを
やらせるくらいの強引さも時には
必要かもしれない。